メンバーの思い

十勝うらほろ樂舎には個性豊かなメンバーが全国各地から集っています。そのストーリーをインタビューしました。

汰木健吾(ゆるき けんご)

関西の大学を卒業後、2013年ロート製薬(株)に入社。約5年間東京で営業を担ったのちに、2018年から人事総務部で採用・研修を行う。また、複業で2018年6月に浦幌町の若手経営者と東京の仲間と共に、林業を次世代に繋ぐ会社(株)BATON PLUSを設立。その後、樂舎の「新たな協働のカタチ」に共感し、世の中に広めていきたいと思い、現在はロート製薬(株)を卒業し、十勝うらほろ樂舎へ。現在は、スポーツを軸としたまちづくりの「URAHORO SPORTS PROJECT」と次世代の若手リーダー育成の「アウトターン」のプロジェクトを推進する。

Q:まずは汰木さんの経歴について教えてください。

僕は兵庫県の神戸市で生まれまして、高校まではずっと神戸で育ちました。大学は大阪の大学に行きまして、16年間ずっとサッカーをやり続けてきたっていう、サッカー小僧みたいな感じだったんですね。大学卒業まではずっとサッカーしてたと。
  そしてロート製薬に新卒で入社して、5年間東京で営業をしていました。ドクターに向けて営業するっていうよりも、ドラックストアやコンビニに営業してました。そこから人事部に異動して、新卒採用や研修構築、人事制度改革をやってました。その後、十勝うらほろ樂舎(以下、樂舎)に出向という形で1年間こさせていただいてたんですけど、2年間と決められていたので、1年が経った時に浦幌に腰を据えてやっていく必要があると思い、ロート製薬を退社して樂舎に転職しました。

いきなり浦幌の話が出てきたので、浦幌との出会いを先にお伝えしておくと、 営業を5年間やっていたとき、4年目の2017年だったと思うんですけど、浦幌町との出会いがありました。その時期って、自分でこんなんいうのも変なんですけど、よう営業できてるわ、ガンガン成績上がっていくわで、社内でも認められ始めていて、いい気になってたっていうのが正直なところで、でも何かしらに不安を持ってもいました。その時に社内で勉強会を主体としてやってたんですけど、その中で社内の佐藤さん(現在は十勝うらほろ樂舎の理事)に声をかけられて、「浦幌で地方創生のフィールドワークみたいなのがあるんから、そっちやってみいひんか?」って言われて、参加させていただいたっていうのが最初の浦幌との出会いです。

少年時代の写真
ロート時代の写真

Q:企業から樂舎に転職する際に不安はありませんでしたか?

転職したところにフォーカスを当てるとするならば、むっちゃ悩みました、正直。簡単に言うと、レールからはずれてしまうんじゃないかっていう不安と、この先ほんとに生きていけるのかっていう不安と、っていう心の揺らぎっていうのがあったっていうのが本音ですね。

変な話ですが、人事にいた時にですね、新卒採用の子たちに「社会を変える企業だよ」っていう話をずっとしていて、良いところ、良いところと言い続けてきた。で、向こうも「いいな」と思って一目ぼれのように来てくれると。それは気持ちよかったことは気持ちよかったんですけど、なんだか言葉を発した時に、自分にブーメランが返ってきているかのように感じて。「あなたは社会を変えようとして本気で動いてますか?」って言われたら、自分の言葉とやってる行動が違うなって感じました。

また、自分も与えられたことを粛々とこなしていくことは徐々に出来るようになってたんですけど、自分から切り拓いていくことがあまりできないなって思っていて。これからの社会を考えると、自分みたいに与えられたものだけをやれるっていうのは、もちろん重要な力ではあると思うけど、それだけじゃいけないなと思った。新卒採用のスキームのような敷かれたレールを歩いていく流れって、いざ安定企業に入社したら力を最大化できない、みたいな感じがして。とりあえず粛々と生きて終わっていく、という感じの社会って駄目だなと思って、その社会を変えたいと思ったんですよね。でも、さっきの話で、いざ自分が本当にレールを外れようとしたり、自分の選択肢として安定から新しいこと全部引っこ抜こうとしたときに不安を感じたりっていうのが自分の本心であり、自分は口先で言っていただけだったんだなっていうのをすごく実感しましたね。

Q:樂舎への転職の最終的な決め手は何だったのでしょう?

一番はやっぱり、ワクワクする方へ進もうって決めたことですね。心躍る方へって苦しいかもしれないし、茨の道かもわからないけれども、先が見えてないんだったら、ワクワクする方へ行こうっていうのが最終決断でした。その先が茨の道だったら、その時はその時に考えればいいやみたいな。

Q:転職前に浦幌の様子は2年間見ることができたと思いますが、その他の選択肢を考えたことはなかったのでしょうか?

浦幌以外にも見させていただいていてました。ロート製薬が繋がりのあった東北とか、自分的に興味があった島根だったりとか。でもやっぱり、この浦幌っていうフィールドに集っている人や地元の方々に恩義があるっていうところと、その40代ぐらいの人たちが次世代に対して「本気で繋ごうぜ!」と当たり前のことを当たり前に言っている、それこそが当たり前だなと思って。それが当たり前の社会にしたいなって思ったんです。

Q:浦幌の方への恩義というのは、2年間での恩義ということですか?

厳密に言うと、2017年から浦幌に関わっているので約5年間ですよね。約5年間浦幌に関わらせていただいています。恩義って言ったら、なんだか大それた話になって御恩と奉公みたいな(笑)。でも地域の皆さんの顔を見て、この人たちだったり、この人たちが一緒に住む町であったり、この人たちが目指す社会だったりっていうのを、一緒に実現していきたいなってすごく感じました。恩義というのか・・・、なんでしょうね。

Q:汰木さんは樂舎で、いまどのような仕事をされているのでしょうか?

今はスポーツを軸にまちづくり、ひとづくりを目指す取り組みをしています。僕自身16年間サッカーをしてきて、サッカーがすごく人生を華やかにというか豊かにしてくれたなって思っています。それは、ただサッカーが面白いっていうだけではなくて、人との繋がりであったりとか、自分の考え方であったりとか価値観っていうところなんかも、そこで培われてきたと感じています。スポーツってそもそも、そういう可能性ってめちゃくちゃあるよねって。人と人とを繋いだり、人が人を支えることだったりとか。そういうのって、実はまちづくりに関連するものがあるんじゃないかと思いました。

僕の中にはやりたいこととして、スポーツと食の二つがあるんですよね。生まれた瞬間は、たぶん遊ぶことや動くことがめっちゃ嫌いな人っていないと思うんですよ。途中で何かしらの要素があって嫌いになっちゃったっていう。食も同じで、食べることがめっちゃ嫌いな子って、たぶんいないと思うんです。でも何かしらで食べることが嫌いになっちゃったって。本来はスポーツも食も好きなことなんだと思うんですよ。自分自身でやりたい、食べたいって思えるような。そこに学ぶ要素を乗せることができるスポーツは、ひとづくりにおいてすごく大事なんじゃないかなと思ってます。

さっき、道なき道を切り拓いていく力の話をしましたが、これが未来社会の主要な要素になってくるだろうと思います。でもそれって、今の学校教育を否定するわけではないんですが、学校教育の中では教えてもらってなくて。例えばスポーツは自分のありたい姿であったりとか、自分がレギュラーになるためにどうしたらいいんだろうかとか、このパスミスはどう改善したらいいんかなとか、答えがないんですけど、突き進む中での課題発見・解決だったり、リバウンドメンタリティであったり、自分を見つめる力だったりっていうのは、これからの社会で生きていく力を培うことにもなっているんだと思います。でも、あんまり言語化されて学びとして使われてないので、もっと教育に「スポーツ×教育」的なものに落とし込んでいきたというのがひとづくりへの思いです。それを浦幌だけでやりたいわけではなくて。まずは浦幌で仕組みを作った上で、他の町に広がっていったら、より強い社会になるんじゃないかなと思っています。

Q:樂舎に転職をしてみて、生活やマインド的な変化はありましたか?

いい意味でも悪い意味でも、二つお話できたらと思います。いい意味では、僕は神戸で育ち、大阪で大学に行き、東京で仕事して、大阪に戻るっていうように都市をずっと渡り歩いてきたので、食の生産者さんと触れ合うことはなかった。そもそも土に触れること自体、あんまりなかったです。そんな中、生産者さんたちと価値観を擦り合わせたり、理解しようとして話したりすることは、今の価値観の中ですごくプラスアルファになっていると思いますね。あと変な話ですけど、なんか天気がいいとか、月があるとか、そういう当たり前のことに幸せに感じるようになります。空が広いですし、天気がいいときが多いですし、そこに目を向ける時間が多くなったっていうのはあると思いますね。

一方でマイナス面というか、自分の心に揺らぎができてるなっていうのはすごく感じます。ロート製薬にいたらおそらく悩まなかったこと、つまり共通言語として喋ることができていたりとか、共通の価値観としてすぐに落とし込めたりだとか、いざ看板がなくなったときに、自分の弱さというか、力のなさを実感するようになりました。それでも、よく見せたいと思ってしまってる自分もいて、いろんな面で心の揺らぎが生まれているっていうのが今の自分だと思いますね。

Q:それを感じることができる環境は、なかなか得るのが難しいですよね。

なんだか本能に近づいているんだろうな、っていう感覚があります。天気がいいことに喜びを感じることもそうだろうし。考えるって、たぶん人間の本能だと思うんですよね。無駄に動物の中で知識を持っちゃったのが人間だと思うので、それをゆとりの中で考えて行動することが大事なんだなって。

Q:企業経験のある汰木さんから見た、樂舎や浦幌町の特徴などがあれば教えてください。

綺麗に言語化できてないんですけど、最近思うことは「何も変わらないんじゃないか」って思った。それはロート製薬で働いていようが、樂舎で働いていようが、ここから違うところに行こうが、やることが変わらなかったら何も変わらないんじゃないかな、というのを最近感じます。僕はロート製薬と樂舎の2社を選んだ理由として、どちらのトップも自分のために素直に生きるっていうだけではなく、社会にどうやって貢献できるのかっていう考えなんですよね。そこに心を惹かれて僕は動いてるんだと思うので、それは変わらない要素なのかもしれないし、変わってはいけない要素なのかもしれないです。今はロート製薬だから、樂舎だから、っていう話ではない気がしています。

Q:いま樂舎で働く中で感じていることがあれば教えてください。

大きく二つあると思っています。一つ目は、自分にのしかかる量が多すぎるっていうこと。樂舎って一つの会社なんですけど、会社の中だけでやっているわけではないんですよね。ロート製薬の場合は会社の中でみんなでモノを作ってるんですけど、樂舎の場合はまちづくりとなると関わる人が多い。例えば、今担当しているマラソンイベントだけでも役場、警察、警備員、アスリート、なんとかかんとかって、関わるセクターが多すぎるっていうのはあります。
でも、それはすごく大事なことでもあるんですよね。自分1人に対しての関わりが無限大にあるっていうのを感じています。自分のやりたい方向さえあれば、「○○さん、一緒にやりましょうよ」と、本当にパパって話が積み上がっていく、繋がっていくっていうのが大事なのかなと。でもやっぱりね、会社にいたら「ちょっとそれに関しては上司に確認します」であったりとか。人の関係の無数さと、考えの無数さっていうのに気づけない気もしています。

二つ目は、決断するのは自分であるということ。誰かが判断して、誰かが指示してくれるっていうのは、すごく簡単で居心地がいいんですけど、決断するって、なかなか心の揺らぎがあり、負荷があると思っていて。そこがね、面白く苦しいところでもあると思います。

上田真弓(うえだ まゆみ)

1978年兵庫県生まれ。学生時代に開発途上国に関わったことで、自分が生かされている社会を考え、自身の学びを振り返る契機を得る。繊維メーカー、教育NPO勤務などを経て、2006年文部科学省入省。入省後も、様々な地域に学びながら政策立案にあたる。次世代につなぐ社会づくりにローカルから貢献することを目指し、2020年9月に文部科学省を退職し、浦幌へ。

Q:まずは上田さんの経歴について教えてください。

生まれは両親の故郷である兵庫県の丹波市なんですけど、私自身は高校時代まで愛知県の豊橋市で過ごしてます。住まいは新興住宅地で、その時点では地域っていうものは自分には、あまり存在していなかったというか、学校の友達と家族と、っていうのが自分の世界だったかなと思います。大学で東京に出まして、東京が本社の会社に就職したんですけど、大阪支社配属になって、3年ほど大阪におりました。

もともと大学時代に教育というか、自分自身の学びに関心を持つ機会がありました。教育関係に興味を持っていたんですが、大学生当時の私は、自分の関心と仕事をうまく結びつけられなくて。最初に就職したのは、教育とは違う自分の好きなことっていう感じで、繊維メーカーの企画営業を3年弱していました。ただ、自分の中でずっと教育や学びに対するモヤモヤや関心があって。そうですね、ちょっとしたきっかけもあって、やっぱり人の可能性、自分も含めた1人1人の可能性により貢献する仕事がしたいなと思いまして、最初の仕事を3年弱で辞めました。その後すぐ文科省に入ったわけではなくて、サンフランシスコのチャータースクールでインターンをしたり、地元の愛知県の教育NPOで勤務したりしてから文科省に入省して、在籍でいうとトータル14年半、文科省で主に教育行政の仕事をしていました。

サンフランシスコ時代の写真①
サンフランシスコ時代の写真②

Q:メーカー勤務から、興味ある教育分野に転職したのは、どんなきっかけがあったのでしょう?

大体2年ぐらい経ったところでしょうか。それまでは自分に与えられたことをこなすのにとにかく必死だったんですけど、少し自分で仕事を回せるようになってきたときに、次の目標が勝手には湧いてこなかったというか。仕事の面白さは感じさせてもらったんですけど、面白いからこそ、本来自分が一番気になっていることにぶつけた方がいいのかな、って思うようになって転職しました。 また、直接のきっかけとしては、冬休みにカンボジアに行った際に孤児院を訪問して、この子たち1人1人にも可能性があるんだと感じたときに、やっぱりもう1回そこに立ち戻ってもいいかな、と思いました。

Q:文科省時代に樂舎とはどのように出会ったのですか?

樂舎はまだ立ち上げて丸2年の組織なので、正確に言うと浦幌との出会いがおそらく10年ぐらい前になるかなと思います。当時は文科省でコミュニティ・スクールという、学校とか子供のことを教職員だけじゃなく、地域の人や保護者と一緒に考えようという仕組みの担当をしていました。今振り返っても、異動が多い職場において一番自分が持っていた志に近い仕事を担当させてもらっていたかな。そのときにご縁があって、代表の近江を通じて浦幌に出会う機会がありました。それも実は、教育NPOで働いていたときのローカルのネットワークが繋がって、という形です。

当時の仕事としても、そういう領域を担当してたこともあって、公私に渡って浦幌の取り組みに学びながら、またそれを政策に活かすこともさせていただいてきました。国の仕組み作りは重要な仕事で自分自身の関心も高かったんですけど、そこでやり遂げたいというよりは、そこを経験した上で、いずれはやっぱりローカルっていうか、現場が一番大事だし面白いんじゃないかって思っていたので、いずれはそういうところで役割を果たせる人間になりたいと思っていました。それを近江にも話していたので、樂舎を立ち上げるタイミングにも重なったのかな、って思ってます。

Q:もともと考えていたところに、少しずつ向かっている感じですね。

そうですね。「1人1人の可能性を開いて、1人1人が自分の人生とか社会の作り手になる」っていうことを目指してるんですけど、そのツールというか手段を変えたという感じでしょうか。国の行政も大事な仕事だけれども、もしかしたら私自身が役割を果たすのは、こういうローカルのところで新しいことを作っていくってことで、その方が社会にとっても自分にとってもいいのかもしれないなとか。また、そうしないと間に合わないんじゃないか、思いもありました。

Q:文科省での14 年間から浦幌に行く、というのは大きな決断だったのではないでしょうか?

そうですね、大きめですかね。もしかしたら周りが思うより、私にとっては小さいかもしれないですが、周りには理解はされなかったというか、私のことをよく知っている人にも転職はあまり勧められなかったですね。

自宅は兵庫県の丹波市なんですけど、例えば自分が丹波とかどこかの地域に急に飛び込んで何かできるほどの力はまだないと思っていて。国の行政で働いて身についた力と、こういうところで役割を果たす力は別物だと自分でも感じていたので、どこかで修行や学びが必要と思っていました。タイミングやきっかけというのは結構難しくて、1度目の仕事と一緒ですけど、仕事自体はやりがいがあるし、文科省での仕事も面白いし充実感もあったので、どこで踏ん切るかということなんだと思います。

なので、樂舎立ち上げという浦幌のチャレンジの機会に、ある意味乗っからせてもらうというか、ご一緒するというのがいいタイミングなのかなという部分もありました。ただ、自分が浦幌で学んだ後どうするかを準備してなかったので、その点を周りから心配されて、「行くのは良いけど、もっとやり方があるんじゃないか」「自分のキャリアや戦略をもっと考えた方がいい」と助言されました。

文科省時代の写真①
文科省時代の写真②

Q:それでも最終的に浦幌に行くことにした決め手は何だったのですか?

浦幌が新しいチャレンジをするタイミングに一緒にチャレンジする、っていう機会を逃さない方がいいのかな、という思いが最後に勝ったというか。なかなか無い、二度と無い機会だなっていう風に思いました。

私にとってはどこでも良かったわけではなく、浦幌なのでチャレンジしたかったっていうのがあって。まちづくりを頑張ってる町は他にもたくさんあると思うんですけど、それを何のためにやっているかっていう点で、次世代に繋ぐためということを、多くの人が共有しているのが特徴だと思っています。そういう意味では稀有な町というか。自分自身が教育行政という領域にいる中では越えられなかったことも含めて、この町でなら学びながら挑戦できるのかなと思い、そういう土壌があるからこそチャレンジさせてもらうことの意義を感じました。

Q:浦幌の魅力は、そのような意識をみんなが共有している、という点が一番大きいのでしょうか?

意識というか、目的というか。何のためのまちづくりなのかが、今の私達というよりは、これからを生きる子どもたちや次の世代にいかに引き継げるか、っていう目的を共有している・大事にしているっていうことが、一番大きいと思います。

私は教育の領域にいたので、いろんな教育委員会や学校は比較的よく見てきた方かなと思うんですけど、そことまちづくりとが連動するのは難しいことがある。双方が歩み寄ってせめぎ合いもしつつ、でも「目指すのは次の世代にいかに繋ぐかだよね」とか「子どもたちに何を繋げられるかだよね」っていうところを、葛藤もあるけれども立場や組織を超えて取り組んでいる。それぞれの人や組織が頑張ってるところはいっぱいあると思うんですけど、そこをなんとか乗り越えながらやろうとしているという意味では、貴重な場所なのかなと思っていました。

Q:その一端を担うのが樂舎なのだと思いますが、そもそも樂舎という組織にはどのような特徴があるのですか?

そうですね、この15年来、もしかしたらもっと前から、地域の人が子どもたちのことをどう考えるかとか、そこに何を繋げるかっていうことにチャレンジして作られてきた関係性やパートナーシップがある土壌に立たせてもらった上で、新しいチャレンジができるというのは、樂舎の特徴のように思います。樂舎にはいろんな人がいるので一言で言うのが難しいんですけど、でも自分たちで切り開きたいっていう人が多いかなあと思いますね。

Q:上田さんは樂舎でどのようなことに取り組んでいるのですか?

樂舎の全体像で言うと、先ほど申し上げたように15年来の町内の協働の基盤の上に今、都市部の企業人や企業との協働が進んでいます。物理的な浦幌町に限らず、そこに関わる人まで含めるとかなりの関係者や地域の人が広義の意味で入ることになるので、そういう環境をいかに浦幌の子どもや若者の力に結びつけていけるか。彼らが自分の人生や地域・社会の主役になっていくときの橋渡しをどうできるかっていうのが、樂舎や浦幌の全体像の中でいう私の役割なのかなと思っています。

Q:その取り組みは、この先どのように展開されていくのでしょうか?

私は行政から来たので、結構行政と樂舎の関係もすごく面白いなと思っています。これからいろんな意味で人とかお金とか、捉え方によっては資源が限られてくる中で、どこが何をやらなきゃいけないっていうよりは、お互いが持ち寄りながら、いかに子どもたちに豊かな環境を作っていけるかっていうことなんだと思います。今、公的なところや学校が担っている役割も、学校だけに押し付けるというよりは融合していって、もしかしたら「ここの部分は地域で機能を持ってもいいよね」とか、そういう姿になっていくのかな。

Q:移住を伴う転職となりましたが、移住の面で大変だったことはありますか?

自分が目指したいことを大事にしてしまうので、私はそんなにはないんですけどね。心配事っていうか、採用時に近江から言われた通りだったのは、給与面が下がるのと寒さですかね。あとは、土では繋がってないので、ここに住むこと自体は良くても、他の地域へ移動しにくくなるっていうのもありますね。

Q:それは上田さんにとってはそこまで大きな問題ではなかったということですか?むしろプラス面があったのでしょうか?

良いか悪いかって、捉え方によっては難しいときもあるんですけど、公私がパッキリとは別れないです。会社とかで働いてたときは良くも悪くも公私が別れていたので。そこがすごく違います。なので、自分も少しずつ人として暮らせるようになりましたかね(笑)。

Q:人として暮らせる、とはどういうことでしょうか?

東京で暮らしていた頃は自分の機能だけを使って生きていた、みたいな感じなのかな、わかりやすく言うと。今は働く場所と暮らす場所も近いですし、助けられながら、プラス仕事もするということを自分自身が感じられるっていうのは大きいかもしれない。ある意味では理屈だけでは仕事はできないという面もあるんですけど、やっぱり人間ってそういうものだと思うので、そこをまざまざと感じながら仕事もできるし暮らしもできるっていうのは、以前そこを切り離した世界で仕事していたので、大きいかなと思います。

ただ、苦しい面もあるかもしれないです。職場としての機能だけ切り取ってみたら、キャリアを積んで慣れてきて、こなせるようになるし見通しがつくけど、ある意味そこを崩されることでもある。自分に足りないこととかできないこととかも感じさせられるので。

その一方で贅沢だなとも思います。私は43歳ですけど、この歳になってこんなに学びに溢れた毎日。学び度合いで言うと、同世代のランキングに躍り出るのでは。

Q:樂舎で働くようになって、マインド的な変化はありましたか?

大きく描いているところは、浦幌を通じて社会に貢献したいというか、より良い社会づくりに貢献していきたい、役割を果たしたい、っていうのは変わっていないです。ただ手前のことで言うと、まずは浦幌のことを一生懸命、このフィールドでチャレンジすること。もう何百パーセント注いでもいいようなチャレンジだと思うので、それを通じてきっと社会に繋いでいけるのかなって思ってますね。




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