先週、小野伸二さんの引退試合をみてきました。試合が終わり、引退セレモニー後の挨拶回り(ピッチを周り、サポーターや観客に挨拶に行くシーン)の時に、ケツメイシの”仲間”が流れてました。僕が前回のレポートで仲間を引用しておりましたが、そのタイムリーさにびっくりしました。(feat ECHIZEN verではなかったです。)さすが、地元の先輩。誇りに思います。
みなさん、こんにちは。雪こそないですが、冬ですね。いかがお過ごしでしょうか。
今回は裏ほろマラソンエピソード3ということで、マラソンの準備期間中に浦幌の農家さんにたくさん支えてもらったよ、というお話です。
2023年の「うらほろマラソン」の開催時期は10月でした。農家さんからすると、農繁期で収穫が相次ぎ忙しい時期でもあります。なので、「10月かー当日は行けなさそうだなぁ」という声もいただいておりました。農家さんに普段お世話になっている分、何か恩返しができないかと思っておりましたが、業務に追われ、自分からアクションすることができずにいました。
マラソンの準備はマニュアル作成など、資料を作ることがほとんどです。日中は関係者と打ち合わせをするなど、日中にしかできないことを行い、夜は資料作成と忙しく日々が過ぎ去っていきました。
そんな資料作成をしている僕や会社のメンバーに、夜差し入れをくれたり、時にはアツい電話をくれたのが地元浦幌の農家さんでした。
修学旅行の受け入れ、研修の受け入れなど何かとお世話になりっぱなしの農家さんが、今日もやってるねーと自分たちの野菜を使った料理を事務所で振る舞ってくれたりしました。農繁期で心身ともに疲労しているであろう農家さんが、自分たちのために食事を準備して、振る舞ってくれたのです。僕はその料理だけでなく、姿勢や言葉1つひとつに心から元気をもらいました。
また、看板作成もです。今回35km、15kmのコース上に置かれた看板は、地元の農家さんが設計してくださり、それでだけでなく作り方やコツなど1から丁寧に教えてくれました。時には夜遅くに一緒に作業してくれたりもしました。
さらに、「おーいゼンちゃん生きてるかー!まじで手伝えなくて申し訳ないけど、まじで応援してるから、終わったら飲もうな!」と何度も何度もアツい言葉をかけ、僕を奮い立たせてくれた農家さんもいらっしゃいました。
正直、仕事ができる企業出身のメンバーであれば30分で終わる仕事を僕は1時間、2時間、3時間かけて終わらせることもあります。余裕があるメンバーからの指摘はごもっともで、抜け漏れがあることも少なくありませんでした。そうした自分の無力さを感じる日々は、決して楽しいものではなく、苦しく辛い日々でもありましたが、そうした農家さんからの様々な励ましは、何度も僕の心を支えてくれました。
マラソンを終えた後も、特にそのかたに特別何かはできませんでしたが、よくやったよと終わってからもアツい言葉をいただきました。
こうした支えがあってこそできた「うらほろマラソン」でした。次回はもっともっと成長した姿を見せたいと心から思います。
本当にありがとうございました。
何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ
きみの名前 声が枯れるまで
悔しくて 苦しくて 頑張ってもどうしようもない時も
きみを 思い出すよ
そのエールの先に、DREAMS COME TRUE
今日はこの辺で。
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このコラムについて
今年も開催できるよう動き出した「うらほろマラソン」。準備を始めたメンバーたちの舞台裏での出来事を綴っていきます。
著者紹介
(越膳 慧太)
静岡県出身、北海道教育大学釧路校に進学。地域とともにある学校という視点で教育を学ぶ。授業を通して出会った浦幌町に飛び込むことが、自分の想いを形にするために必要な経験だと考え、大学卒業後、地域おこし協力隊として十勝うらほろ樂舎に勤める。現在はワークキャンプ事業と高校から感じていたスポーツを入り口に子どもたちの未来をよりよくするためのスポーツプロジェクトにチャレンジ中。
意外な一面
地元沼津市で活動しているお笑い手品芸人「おのちゃんマン」の一番弟子。人を笑顔にすることなどは師匠からいただいた可能性が大きい。
「おのちゃんマン」は会社の社長の傍ら芸人をしており、「笑い療法士2級」を持ち、保育園からイベント、結婚式福祉施設、被災地でも“手品“を通し、笑顔を届けている。