リポートリポート

「はじめまして まっちです」


 はじめまして、まっちです。

 私は、大学を卒業して地域おこし協力隊として2021年に浦幌町に来ました。浦幌町では、主に小学生から高校生までを対象とした企画などを実施している他、子供たちと個々の関わりを持たせてもらうこともあります。私は自身の活動を通して、子どもたちにたくさんの人と出会い、様々な経験をして今後の選択肢の幅を拡げていってほしいと考えています。このように考える私自身、進路選択を迫られてたくさんの悩みを抱えていました。

 このコラムでは、私自身や、私が接する中高生たちのリアルを書いていこうと思います。「仕事」「進学」「勉強」「部活動」「人間関係」などで楽しさや喜びがあったり、不安や悩みがあったり。様々な経験をした私たちは、気持ちや行動が少しずつ変化しています。そんな私たちについて、ご紹介できればと思っています。

 なので、社会教育に関心がある方、進路に悩んでいる方にとっては何かヒントになることがあるのではないかと思っています。どうかよろしくお願いいたします。

遅すぎた決断 
「ああ、明日、目が覚めなければいいのに!」

まずは私が浦幌町に来た経緯についてお話ししたいと思います。

 私は札幌市で生まれ育ち、高校教員を夢見て茨城県の大学に進学しました。しかし、大学生活を過ごしている中で「教員になる前にもっと自分が社会のことを知らないと」と思うようになり、教員を目指すことをやめました。

 それが2021年、大学4年生の12月。遅すぎる決断でした。周りの友だちはみんな進路が決まっており、自分だけが4月以降の暮らしが想像できない状態。本当に焦りました。

 就活なんてしたことのない私は、とりあえず友だちの薦めで某就活サイトに登録しました。就活を始めた当初は「結構有名な国立大学だし、自分は結構何でもできる方だし、まあすぐに決まるでしょ」と甘い考えを持っていました。しかし、毎日のようにお祈りメールが届き、フィードバックでかなり辛辣な言葉をもらった時もあれば、30分予定していた面接が3分で終わった時もありました。元々あった自信も失くなり、不安と焦りで「明日、目が覚めなければいいのに」と思いながら過ごしていました。

教育実習生時代


 「これからキャリアを考えなければいけない人たちに同じ経験をしてほしくない。自分よりもっと色々な経験、色々な情報を得た上でキャリアを考えられる環境にしていきたい」

そんな想いで苦しみながらも就活を続けていた時、一通の通知が来ました。

「浦幌町の地域おこし協力隊になりませんか?」

「どうやって生きていくの?具体的なイメージが伝わらない」


 私は、大学2年生の時に瀬戸内の島で地域おこし協力隊をやっている方の聞き取りを行なったことがあります。当時はその方の話を聞いて「自分が地域おこし協力隊になったらどんなことができるだろう」とワクワクしながら想像していました。実は大学4年で就活をし始めた時も、その当時を思い出してさまざまな自治体の地域おこし協力隊の募集を見ていました。しかし、それを母に伝えると、「その給料でどうやって生きていくつもりなの?それからどうするの?具体的なイメージが今のまっちからは何も伝わらない」と言われました。確かに、一般的な新卒1年目のお給料と比較すると低賃金だし、自分の中でも「地域おこし協力隊=町の活性化のために頑張る人」というイメージ以外のことをあまり知らず、具体的な仕事の内容を考えても「町のことを発信する」とか「町の人のお手伝いをする」とかありきたりなことばかりしか思い浮かばなかったので、母の言葉は図星すぎて何も言い返すことが出来ませんでした。母からこのように言われた時は、泣く泣く協力隊を目指すことを諦めて、一般企業の就活に取り組んでいました。

浦幌町から通知が来た!

しかし、その後、何社受けていても「ここで働きたい!」と思う会社に出会えずに就活のモチベーションが下がっていた時です。浦幌町からの通知が来ました。ずっと心のどこかでやってみたいと思っていた協力隊。母の言葉が脳裏に浮かびながらも詳しく見ると「教育」がキーワードになっていました。「もうここまで来たらきっと運命だ!」と勝手に信じて、両親に無断で面談を受けました。初めは浦幌町がどこにあるのかも分かリませんでしたが、面談を受けていくうちに浦幌町のこれまでのことを知ることができ、地域おこし協力隊について調べていくうちに、本当に色々な可能性を生み出せる職業なんだなと気づきを得ました。この時期は家族とたくさんテレビ電話をして、今日知った浦幌町や地域おこし協力隊のことを話したり、自分がどのような方法であれ教育に関わりたいという想いを伝えていました。徐々に自分の想いが伝わったのか、家族総出で「まっちが浦幌町で何をしたら人が集まってくるか」を何時間も語り合うほどになりました。そして、最終面接に向かう時も「いってらっしゃい!」と背中を押してもらいました。面接の時には、今に至る経緯と、「自分は浦幌町に高校をつくりたい」と顔を熱くしながら話したことを覚えています。

大学同期の集合写真

 

 これが私の浦幌町に来た経緯です。

 連絡をもらった時は、浦幌町がどこにあるかも知りませんでしたし、本当に偶然の出会いだったと思います。しかし、家族に反対されながらも諦めずに情報収集をして、自分の考えを家族が理解してくれるまで何度も何度も伝えていなければ、私はきっと、違うところに居たと思います。

実際に浦幌に来て2年が経とうとしています。現在は、毎日のように子どもたちとふれあい、その言動に考えさせられたり励まされたりしています。

 そんな私と子どもたちの、リアルな浦幌での暮らしが皆さまにお届けできれば幸いです。

この連載について

現在は、毎日のように子どもたちとふれあい、その言動に考えさせられたり励まされたりしている私が子どもたちとのリアルな浦幌での暮らしをご紹介します。

著者紹介

(続 麻知子)

1998年札幌生まれ。国語科教員を目指し、筑波大学日本語・日本文化学類に入学。大学では国内・海外問わず様々な地域に赴き、その地域の歴史や暮らし、人々の関係性を調査することで、自身の環境を振り返る機会となった。大学卒業後、浦幌町地域おこし協力隊に就任し、十勝うらほろ樂舎ヤングフェローとして浦幌町に関わる子どもたちや若者と共に「たくましく生き抜く力」を身につけ、次世代を主体とした地域づくりを目指している。

浦幌町に来て、町の方々の生の声から学ぶことがとても多いです!一緒に悩み考えながら地域づくりに関わっていきたいと思っています!

意外な一面
これはここだけの話だが、自分自身やろうと思えば何でも出来ると思っている。そして負けず嫌いな一面も。学生時代に教員を目指していたのには、当時苦手意識を持っていた先生を、自分が素敵な先生になって見返してやろうという気持ちが結構強かったということはあまり公表していない。

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