リポートリポート

コロナで企画は延期に?いや「口だけじゃないぞ」

大学4年生の12月まで就職先が決まっていなかった私も無事に2021年4月には浦幌町地域おこし協力隊として着任しました。そして、この地で「十勝うらほろ創生キャンプ」担当として十勝うらほろ樂舎で働くことになりました。

 着任してすぐに新人研修で1カ月ほど1次産業について学んだ後に、浦幌に拠点を構えるスタートアップであるフォレストデジタル株式会社(以下「FD」★https://forestdigital.org/)での研修が始まりました。代表の辻木勇二さんから研修生向けのオリエンテーションを受け、ある課題が与えられました。

「浦幌の子どもたちを対象にしたプロジェクトを立案・実行せよ」

 与えられた課題は「今日から1カ月の間に、町内の子どもたちを対象にした、うららパークを利用したプロジェクトを企画し、実行すること」というものでした。私自身が教育分野に関心を持っていたことを考慮していただき、プロジェクトリーダーに指名されました。

 私の他にプロジェクトを進めるメンバーは2人。まずはメンバーのことを知ることと、うららパークがどのような施設なのかを知ることから始まりました。

 メンバーとは4月に初めて出会い、2・3回ほど軽い会話を交わした程度で、お互いのことを何も知りませんでした。そして、同期ではありましたが、2人とも私より4歳下だったので「自分が引っ張っていかなきゃ!」と勝手に思っていました(結果、2人がそれぞれの考えをしっかり持って行動してくれたので、無駄な張り切りだったと気付かされましたが笑)。

 はじめのうちは、2人にたくさん質問攻めをして彼ら自身についての情報収集をしていました。私自身、人付き合いが上手いタイプではなく話しかけるのが苦手なので、毎回気を張って話しており、すぐに会話が終わってしまうと心の中で「どうしよう、会話が終わっちゃった!次は何の話題を振れば良いのかな!?何に関心あるのかわからないよ」と心の中で叫んでいました。何度も何度も長い沈黙が訪れて「こんな感じの雰囲気のままでプロジェクトの企画を立てられるのか!?」と内心とても焦っていました。

 しかし、何度か話題振りにトライしているうちに、2人とも浦幌町出身で、1人は「町出身だけど同世代の出身者のように地元に対して特別な感情を持っているわけではないが、動画制作に関心を持ってUターン」し、もう1人は「大学1年生の時に就職することを決意してUターンし、絵を描くことが好き」という情報を得られました。次に「うららパーク」のことを学びました。

 うららパークとは、2020年に町内の旧常室小学校の教室を改装して誕生し、前後左右と天井の5面マルチスクリーンで様々な自然や風景を感じられる没入体験を提供している施設です。映像だけではなく、音や香りも再現されており、とてもリラックスできる空間なので、「気づいたら寝ちゃってた」というお客さまも多くいらっしゃいます。

 では、この「デジタル森林浴×教育」を3人でどのように企画して進めていくのか。それを考えていこうと思いましたが、

 準備期間が短すぎる!

 あと1週間後には、プロジェクト内容を立てて学校に連絡しなければ間に合わない。こんなスピード感で物事が決まって社会って動いているのか、と社会人になって初めて感じました。

“How”じゃなくて“Why”を常に考えるように

 FDでの研修初日に、代表の辻木さんから「“How”じゃなくて“Why”を常に考えるように意識してください」と伝えられました。私たち3人は、「なぜうららパークで企画をするのか」「なぜ子どもたちを対象として企画するのか」など、「なぜ」の答えを沢山言語化することに努めました。そして「頭の中で考えていることを、頭の中だけで終わらせないでほしい。『想像をカタチにする』ことに精一杯取り組んでほしい」という想いを共有し、【5回の活動でうららパークに投影する映像を制作する】というプロジェクトを考えました。

 FDメンバーからOKをもらい、学校に告知をする段取りに入ろうとしました。ですが、学校と地域をつなぐコーディネートをしているスタッフから、「これまで地域側から学校側にアプローチをする時は2週間前には学校に伝え、何度か確認・修正作業をした上で了承を得て告知をさせてもらっている」という話を聞きました。そんな丁寧な過程があると知らなかった私たちは、明日チラシを配布してもらって、1週間後にプロジェクトが開始する、というスケジュールを組んでいました。

 その話を聞いた時に「え、もう無理じゃん。初っ端から無理じゃん」と心の中で呟いていました。FDメンバーに「このような過程があると聞いたので、それに対応するために最初に考えていたプロジェクトのスケジュールを後ろ倒しにして考えたい」と相談しました。返ってきた答えは「最終日は決まっているからこれは動かさない。後ろ倒しにしないように考えてください。大事なのは “どうやるのか”じゃない、“なぜやるのか” です」と言われました。

 研修初日に出された課題のタイムリミットは1ヶ月。この時点で3日が経っていました。

内心、逃げたくて逃げたくて仕方ありませんでした

 その後、教育関係担当のスタッフを通じて、学校に無理を通してもらい、なんとかチラシを配布することが出来ました。正直、この時はスタッフや学校の管理職の方に感謝をする余裕もなく、ただただ安堵していました。第2段階終了です。

翌日、「どれくらい申し込みが集まったかな?」と確認してみると、表示されている数字は「0」でした。1日に何度更新ボタンを押しても、表示は変わりません。今まで札幌とつくばで過ごしてきて、呼びかけをして1人も集まったことがなかったので、本当に驚きました。と同時に、一気に焦りが押し寄せてきました。

 どうしよう、どうしよう!!!!

 このまま集まらないの!?集まらなかったらどうしたらいいの!?

 やっと企画考えられたのに。やっとチラシが出来て配れたのに。

 内心、逃げたくて逃げたくて仕方ありませんでした。

 この状況をFDメンバーや教育関係担当スタッフに共有すると、もう1回学校で告知させてもらう、という案が出ました。そうしようとは思ったものの、「同じことを繰り返しているだけでは意味がない。何か工夫を加えないと」と思い、1分間の宣伝動画を作りました。自分の中でもちょっとかっこいい感じに仕上がったなと思った動画。これをまた、無理を通してもらい、給食時間中に校内で流してもらいました。

翌日、申込フォームを確認してみると、「0」のまま変わっていませんでした。もう焦る気力もありませんでした。どうしたら申し込んでくれるのだろう。もしかしたら、この企画自体無理だったのかもしれない。もうどうしようもないのかもしれない。

 そう思いつつ、教育関係担当のスタッフに相談すると「もう個人で保護者を当たっていくしかないね〜」と言われました。ですが、まだ浦幌町に来て1カ月。どこに保護者さんがいるのかも知りません。どうやってその保護者さんを見つけて、どうやって連絡を取ればいいのかもわかりません。この状況でどう進めばいいのか。おそらく、誰が見ても分かるほど私は絶望感剥き出しだったんだと思います。スタッフの1人が「この人は中学生の保護者さんで、地域の取り組みにも積極的にお子さんの参加を促してくれる方だから、連絡してみても良いと思うよ」と保護者さんの情報を共有してくれました。

 すぐに連絡をして、企画参加のご協力を乞いました。そして他の保護者の方に発信する手段を乞いました。今思うと、1度も会ったことがないのに図々しい態度を取ってしまったと反省します。そんな対応をしてしまったにも関わらず、その保護者の方に理解していただき、他の保護者の方の連絡先も共有していただいた上で「私の方からも声かけてみますね〜」と言ってもらいました。その後、私からも共有いただいた他の保護者さんに連絡をし続けました。

 数日後、申し込みフォームを開くと、表示されていた数字は「4」。本当に嬉しかったです。これで企画が実行できる、という安堵の気持ちがすごく大きかったです。しかし、そんなにうかうかしていられません。全5回のプロジェクトの1回1回をどのように進めていくのかを考えなければなりませんでした。『想像をカタチにする』にはどうしたら、、、いや、なぜ『想像をカタチにする』のか、それを考えながら、当日の流れを組んでいた時に、ある一報が流れてきました。

 それは「新型コロナウイルスの影響による緊急事態宣言の延長」でした。

厳しい条件ばかり。でも「口だけじゃないぞ」

 緊急事態宣言下では、課外活動はその一切を中止していました。そんな中、このプロジェクトだけ活動するということは出来ない状況。この時の私の心の中は、「もうなんでこんなに問題ばっかり起こるの!もう嫌だよ!大学に戻りたいよ!!!」みたいな感じでした。教育関係担当のスタッフからも、保護者の方からも、「開催を延期にして、緊急事態宣言が明ける夏休みに実行したら良いのでは」というアドバイスをいただきました。私たち3人の中でも話し合い、「夏休みにプロジェクトが出来るように延期した方が、子どもたちも保護者も不安なく、時間をたっぷり使って活動出来るだろう」ということになり、FDメンバーに開催の延期を提案しました。

 しかし、返ってきた言葉は「最終日は変えないと伝えたはずです。それを変えようとしているということは、こちらからのオーダーを完全に無視していることになります。企業において出されているオーダーを無視するということは絶対にありえない」でした。

 その時、今までずっと我慢していた涙が一気に溢れ出ました。

 自分はひたすら頑張ってきたはずなのに…ここまで辿り着いたはずなのに…なんでこんなに報われないんだろう。浪人して、筑波に入って、辿り着いた未来がこれだったのか。

 そう思っていました。そして、自分の “無力さ” も痛感しました。学生時代はどんなことでも人並み以上には出来ると感じていた自分が、問題に阻まれ、それを打破できずにこんなにも心が折れてしまうなんて、考えてもいませんでした。「社会人ってこんなに生きるのが大変なのか」と落ち込み、家に帰ってから転職サイトを開き、本気で次の仕事を探しました。

 でも、ふと脳裏に母の姿が過ぎったんです。はじめ、地域おこし協力隊になることを反対していた母。「きっと “理由付けして逃げているだけにしか見えないわ。本当に口だけだね”とか言われるんだろうな」と勝手に想像しました。 そんな想像を勝手にしてたら、なんだか悔しくなって「口だけじゃないぞ!」と負けず嫌いを発揮し、翌日から自分でも分からないくらい気合を入れて出社していました。

 ですが気合を入れて出社しても、問題が解決したわけではありません。頭を抱えていると、スタッフが「課外活動の浦幌部はzoomを使ってオンラインでミーティングしているよ」と教えてくれました。今時の中学生はオンラインでミーティングが出来てしまうんですね。参加者の保護者の方に、自宅でzoomを使ってミーティングをすることは可能かを聞いて周り、端末がない子には貸出をしました。これでなんとか、“オンライン” という形で初回を迎えられそうです。

 浦幌町に来て初めて出会う中学生。一体どんな子が参加してくれるのだろう、とワクワクドキドキしながら直前準備をしました。そして、この出会いがその後の地域おこし協力隊としての活動に大きく影響することになりました。(続く)

この連載について

現在は、毎日のように子どもたちとふれあい、その言動に考えさせられたり励まされたりしている私が子どもたちとのリアルな浦幌での暮らしをご紹介します。

著者紹介

(続 麻知子)

1998年札幌生まれ。国語科教員を目指し、筑波大学日本語・日本文化学類に入学。大学では国内・海外問わず様々な地域に赴き、その地域の歴史や暮らし、人々の関係性を調査することで、自身の環境を振り返る機会となった。大学卒業後、浦幌町地域おこし協力隊に就任し、十勝うらほろ樂舎ヤングフェローとして浦幌町に関わる子どもたちや若者と共に「たくましく生き抜く力」を身につけ、次世代を主体とした地域づくりを目指している。

浦幌町に来て、町の方々の生の声から学ぶことがとても多いです!一緒に悩み考えながら地域づくりに関わっていきたいと思っています!

意外な一面
これはここだけの話だが、自分自身やろうと思えば何でも出来ると思っている。そして負けず嫌いな一面も。学生時代に教員を目指していたのには、当時苦手意識を持っていた先生を、自分が素敵な先生になって見返してやろうという気持ちが結構強かったということはあまり公表していない。

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