リポートリポート

「鏡に映し出される、わたし」

「人は鏡」という言葉を耳にすることがあります。わたしは、その通りだなと思います。

 昔、母からよく言われていました。

 「自分が相手のことを嫌いだなと思っていたら、相手もそう思っとるもんよ。反対に好きと思っていたら、相手も好きでいてくれる。そういうのは伝わるんじゃけえ」

振り返れば、この母の言葉が「人は鏡」という言葉に共感するきっかけであり、原点だったのかもしれません。

人は鏡

 教員時代は、子どもたちという鏡がいつもわたし自身を映してくれていました。大人よりもよく反射するその鏡は正直です。こちらが本気なら本気だし、こちらが楽しんでいたら楽しんでくれる。正しそうなことを言っても本心でなければ、本当に伝わることはありません。わたしは、その反応がとても興味深く、教師の醍醐味だと感じていました。その一方で、反射して見える自分や教育の姿に対し、迷いながら過ごしていたのも事実です。迷いながら子どもたちの前に立つと自分がぶれてしまうことがあります。それはそのまま子どもたちに伝わり、さらに自分に返ってくる…そんな日もありました。

 「この子にとって一番いいことはなにかな」

 「成長のために大切なことは何かな」

 「子ども達が幸せに生きていくために、何を伝えればいいのかな」

 教育って何だろう。わたしは子ども達に何を伝えればいいのだろう。

 経験年数が増えれば増えるほど、答えから遠ざかっていく。そんな感じがしていました。

「問う」

 迷いをもったまま、子どもたちの前に立ち続けていいのだろうか。これが学校教育の現場を離れようと思った理由のひとつです。浦幌へ来て働けば何かつかめるかもしれない、そんな期待もありました。

 実際に浦幌へ来て答えが見つかったかというと、結果はNOです。むしろ、ますます迷い続けているといっても過言ではありません。寝ても覚めてもずっと頭の中で答えを探し続けるような日さえあります。

 しかし、このような日々のお陰なのか、「答えが見つからないことが答え」だと考えるようになりました。それに気付かせてくれたのは、やはり「人」でした。

 例えば、「うらほろアカデメイア」という人材育成事業があります。この事業は、各企業で活躍する方に浦幌で「問う」ことを通して学んでいただくというプログラムです。このプログラムの準備段階でのチラシの表紙には「問う」という文字がデザインされていました。わたしは、このプレ実施で、補助的な役割で加えていただきました。その時に参加していたのは、経歴、実績共に素晴らしい方ばかり。名前だけ見ても気後れしそうでした。(でもこのプログラム、実は素性を明かすのは最後の時で、表向きは参加者同士どのような肩書きかは知り合っていません。裏方だから知っていた情報でした。)

 その方々がプログラムをしているそばで様子を見ていると、「問う」「考える」「考えたことを伝え合う」「また問う」…その繰り返しでした。少なくとも「絶対自分が正しい」「こう考えていれば間違いない」という方はいませんでした。

 職業や肩書きでなく、一人の人間として様々な課題に向き合い問い続ける姿。この姿が、わたしの持っていた「教育って何だろう」という迷いの答えに一番近いのではないかと思いました。 

迷いは、問いへ。問いは自分へ。

 教育って何か。正しいことは何か。

 今ならそう考えている自分を「迷う自分」ではなく「問い続ける自分」として肯定的に受け止められます。もちろん、上手くいかないことはいっぱいあるし、落ち込むし、迷ったり悩んだりするけれど、その道のりすべてが「問い続けること」だなと感じているし、そのすべてが「自分」なのだと思います。

 ここ最近はスポーツ事業に携わる上で、どんなことを大切に教育のデザインを設計するか問い続けていました。スキルなのか、個性なのか、感覚なのか…考えに考えて今のところ出した大切な要素のひとつは「自分」です。アカデメイアで出会った問い続ける人たち、一緒に働き共に悩み走り続ける人たち、浦幌で活躍する多くの人たち。そしてもっと言うならばこれまでわたしに関わってくれたたくさんの人たち、子どもたち。すてきだなと思う人はみな、一生懸命考えて、自分で決めて、自分の人生を生きている人だなあということが分かりました。わたしは教育に関わる上で自分の「自分」も、相手の「自分」も大切にしたいと考えるようになりました。

ありのまま 鏡の前に立つ

 自分が大事だと考えるに至った出来事をもう一つ。

 教育という分野においては正解はなく、問い続けることが答えだとしても、仕事や活動を進めなければならない場面は出てきます。

 あるとき、先輩に聞いたことがありました。

「A先生にAっていう指導法と、B先生にBっていう指導法と両方教わって、どちらも正しい感じがするとき、先輩ならどうしますか?」

 先輩はこう言いました。

「おれなら、自分に合う方を選ぶな」

 正解かどうかではなく、基準が「自分」であるということ。今はこれが教育に携わり、仕事をしていく中での道しるべです。

 わたしだから感じられる価値を、わたしだから伝えられる言葉を、わたしがだからできることを今は精一杯やる。今の暮らしや仕事で出会うたくさんの鏡に映し出されたわたしは、泥臭くて不器用で、迷いに迷って正直かっこ悪いです。恥ずかしい自分、見たくない自分を見せられることがたくさんあります。でも、それでもいいから、人間らしく問い続け、考え続けられるわたしでありたい。子どもたちには「こんなかっこ悪い大人もいるんだよ。でもいいでしょ、そういうのも。だって人間だもの」って見せてあげたいな。

 わたしは今、そんな気持ちで働いています。

この連載について

15年勤めた教員を辞め、浦幌に飛び込んだ私が、時々後ろを振り返りながらも前に進んでいく様子をご紹介します。

著者紹介

(杉浦由記)

1986年広島県生まれ。10歳の時に、千葉県浦安市へ。
小学生の頃から、行事が好きで、仲間と共に何かを企画・運営することに夢中になった。
その経験から、小学校の教員を目指し、免許を取得。
東京都江戸川区、千葉県習志野市、市原市で15年間小学校の教員として働く。
教師として働く中で生まれた「本当に子どものためになる教育とは」「自分らしく働くとは」といった問いをもつように。
自問自答していたタイミングと、十勝うらほろ樂舎との出会いが重なり、2023年5月から浦幌へ。
現在は、自分自身の人間としての力を鍛えなおしながら、教育やスポーツを中心にたくましく豊かな人づくりに貢献できるよう奮闘している。
「出会いは必然」「思っていることは行動に表す」「人を大切にする」をモットーに頑張ります!

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